大街道地区にある自宅兼奥様の職場の事務所でもあったご自宅で被災された甲田さん。その地区は準工場地帯であったため、周りにも工場等々多くの方の働く場があったようです。そのため、あの大きな揺れがきてから避難するまでが早かったそうです。それにより、津波に遭う前に逃げることができたと話されます。
被災後は、現在の蛇田西部第一団地に入居され、副会長をされた後、現在は会長として活動をされています。また、奥様もアロマタッチケアの活動をボランティアとして活動されています。でも実は、そんな甲田会長ですが、震災前は地域の活動やボランティアなどはしていなかったそうです。ある意味あの震災がきっかけで、“自分のため”の活動として現在の活動を勢力的にされています。
今回、多くの仮設団地の会長さんにお話しを伺う機会を頂いてきましたが、意外にも震災以前は地域の活動をしていなかったという方が多くいるということにとても驚いています。甲田さんもそのお一人なのです。しかし、甲田さんのお話しを伺うと、ずっと地域での活動をされてきたのではないかと思ってしまうほどの“地域・コミュニティ”に対する考えを持っておられます。
「それぞれの地域にそれぞれの文化がある。“地域”もしくは“コミュニティ”とは言いながらも“個人個人”を見て、尊重していかなければならない。地域の活動ではあるけども、結局その活動は個へ戻っていく。」というお話はとても印象的でした。私たちはややもすると生活を“地域”という枠でとらえがちですが、それを作っているのは間違いなく個々の住民さん、一人ひとりです。その方々の意見を尊重し、生活しやすい地域を作っていくことの重要さを改めて感じさせていただきました。
また甲田さんは「そもそも“コミュニティ”という言葉より昔からの“隣組”という言葉のほうがしっくりくる。みんなそれに慣れ親しんで生活をされてきた。今石巻が目指す“コミュニティづくり”もまずは原点に戻って考えていかなければならないのではないか。」ということも話されています。その言葉からは、これまでの5年間、仮設住宅や仮設住宅自治連合推進会での活動をされていく中で、色んな方と出会い、真剣に住民のみなさんと向き合って活動をされてきたことが伝わってきました。そしてその活動をしていることが、自分自身のエネルギーを蓄えている、走りながら自分自身も充電していく、ハイブリッド車のようだとふっと思うことがあるとおっしゃっていました。
地域活動というものは、1年やちょっとで簡単に結果が出てくるものではありません。みなさんも仮設住宅での生活の経験から、少しずつ近隣の方と顔を合わせ、少しずつ話すようになり・・・といった経験から実感しているかもしれません。そんな活動をされている甲田さんも、そのことを感じているようです。そのような中で、どれだけ自分の中にしっかりとしたものを持っているのか。柳のように風が吹いて右に流されても左に流されても、しっかりと根を張ってどっしりと地に足がついているか、自分もそうありたいとおっしゃられています。
現在はその地域活動に関する仕事に携われていることを「人生の集大成」と表現されています。仮設で生活された5年間を振り返り、無駄なことはなかった、自分のためにも充実していたと話される甲田さん。自分の体が壊れないかぎり、この仕事を続けていきたいというお話しがうかがえました。これからも、体調にはお気をつけて、頑張ってください。またお話し聞かせてくださいね。
甲田昌則

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