『巻の人間国宝』認定 第4号

認定日2015年4月16日

阿部 嵩(たかし)さん、小枝(さえ)さんご夫婦

分野 地域貢献と手芸創作
詳細 漫談でボランティア活動と服飾雑貨づくり

涌谷町在住の鎌田人見さんから入った一本の電話。「なんだこりゃ丸船長の阿部嵩さんを巻の人間国宝に推薦します。震災後も仮設住宅を回って、お笑いのボランティアをしておられます。本当に立派な方なんです」と・・・。

なんだこりゃ丸ってなんだ? と思う人もいるでしょうが石巻では、けっこう有名なお方のようです。なにはともあれ取材にうかがうことに。

阿部嵩さん(76歳)は、牡鹿半島を巡る遊覧船「ナンダコリャ丸」の「おもしろ船長」として、テレビや週刊誌でも取り上げられるなど活躍していました。得意の時事ネタやダジャレを聞かせながら、海底を覗くこともできるグラスボートで三陸リアスの海を航海するスタイルが人気でしたが、東日本大震災で船を失いました。仮設住宅に入ってからも、夢をあきらめきれず遊覧船を再開しようとしましたが、渡波港の岸壁がコンクリートで固められ乗り場が作れず、万石浦の海岸も嵩上げ工事が行われると知り断念。しばらく何もする気が起らず引きこもっていたら、奥さんから「船長時代に培ってきた話術を生かしたら」と勧められ、一年後に「松尾馬笑(まつおばしょう)」の芸名で漫談家としてデビュー。あまりウケなかったため、その後、「袋小路ほら丸(ふくろこうじほらまる)」と改名し、仮設住宅や公民館などで、これまでに250回くらいボランティアで漫談講演を行ってきました。山形県河北町の小学校での講演会が好評で、子供たちからうれしい感想文が届いたことから、宮城県と山形県の小学校に漫談講演会の案内を郵送するなど、精力的に営業活動も行っています。

袋小路ほらまる 

奥様とはお互いに子連れの再婚同士。嵩さんが前妻とお子さんを交通事故で亡くし、失意のどん底にあった時に妹さんの紹介で知り合ったそうです。小枝さんは茨城県の都会育ちでしたが、石巻の海が見える風景と嵩さんの優しい人柄が気に入り、一緒になることを決めたとか。その後、二人の間にも女の子が生まれ、人生の再スタートは順風満帆でした。ところが2011年3月11日、一人で自宅にいた小枝さんは大きな揺れに恐怖を感じ車で逃げる途中、大津波に襲われ車ごと流されます。瓦礫に身体を挟まれて全身6箇所を骨折しましたが、自宅近くだったため知り合いの男性3人に救助され、九死に一生を得たそうです。小枝さんは若い頃から手先が器用で、布を使ったカバンや小物など、デザインから縫製まですべてご自身で制作をされています。

ご主人のコスチュームやステージ衣装もこれまで100着以上作られたそうで、この日も奥様手作りの明るい色合いのジャケットを披露してくださいました。奥様の内助の功は、マネージャー兼プロデューサーとしても、ご主人の嵩さんを支え続けています。

■活動を行う上で魅力に思うこと、活動を続けてきて良かったと思うことは?

「ナンダコリャ丸」に乗っていた時は、船から見える外海の景色や万石浦の風景も最高で、それが自慢だった。船長としての自信もあったが、昔の海が見えなくなった今、嵩さんの漫談家として「お客さんを呼べる能力」に奥様は魅力を感じておられます。

■今後はどのように取り組んでいかれますか?また、目標や意気込みなどあれば。

嵩さんは—— 若い頃のようにはいかないが、健康に気をつけ今の状態を継続し、漫談家としてさらなる高みを目指して上昇していきたい。具体的には、東北6県の小学校で「津波」や「昔の遊び」などをテーマに、公民館、町内会、老人施設などでも「更におもしろ・おかしく」漫談講演を続けていきたい。

小枝さんは——- 今までは「二人でなければ・・・」の思いでいたけど、これからは、旦那様のプロデュースをしながら、自分が作る洋服をたくさんの人に見てもらって、欲しいという方がおられたらお譲りするなど、自身の創作活動も続けていきたい。

■皆様へのメッセージがあれば。

嵩さんより—– 「76歳の漫談家」として、お客様にウケて、笑ってもらえるよう、日々ネタづくりに励む毎日。これからも皆さんに喜んでもらえるよう元気に活動を続けたいです。

奥様の小枝さんがご主人・嵩さんのステージ衣装を作りながら、陰で支えていくのが喜びと語ってくれました。冗談を言い合いながらも、お互いを思いやる、震災や人生の苦難を乗り越えてきた二人の笑顔が素敵でした。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で