阪神淡路大震災から24年の月日がすぎました。
昨年は全国各地で災害が多発し、宮城・福島の外へ出ると、
東日本大震災はもはや過去のものとして扱われているなと強く感じます。
(市内で生活していても感じることもあったり しますが・・・)
「被災地」という言葉は次から次へ地名に冠され、人の関心も次から次へと移っていきます。
その地で起きたこと、そこで失われた命、失われたものがあること
「その時」が経過して現在があること、そこに人の営みがある事、
人が生活できない地域であってもそこで働いている人がいること・・・
自分が暮らす土地ではない場所へ興味関心を持ち続けることはなかなか難しいと思います。
もしかしたら「その日」は通り過ぎてしまった出来事や土地を振返り想いを馳せるタイミングになるのかもしれません。
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ここ石巻もこの春でまる8年を迎えます。
8年前は畑と田んぼが広がっていたのぞみ野地区(「のぞみ野」という名前すらありませんでした)
現在は多くの災害公営住宅を擁する約1200世帯ほどが暮らす街になっています。戸建住宅の方も震災後に新たに再建して住んでいるお宅がほとんどです。震災によって生まれた街ともいえるかもしれません。
昨年は四つの町内会が立ち上がり、住民活動も徐々に活性化してきました。新しい街なりの営みがここにはあります。
そんなのぞみ野地区で、1月15日に防災ワークショップを開催いたしました。
発端は昨年11月に町内会や復興公営住宅の団地会が協力して地域全体での防災訓練を行なった際に、
地域の役員さんから「まだ地域での自主防災組織もなく、いざという時の動き方が決まっていないよね。」という声があり、
その後、役員さんたちと話し合い、
訓練で終わらせずに地域全体でこれからを考える取り組みをつづけていこうと決まりました。
その一環として、まずは身近な防災を考えるところから、ということで今回のワークショップ開催に至ります。
ワークショップ開催にあたり、石巻でながらく拠点を構えて支援活動を行なっていた
一般社団法人ピースボート災害ボランティアセンター様にご協力を頂きました。
ピースボートさんでは現在、防災や減災の教育にも力を入れており、
「わが家の災害対応ワークショップ」というプログラムを行なっています。
https://pbv.or.jp/wagaya
今回はそのプログラムを地域の役員の方たちを対象に実施いたしました。
プログラムの中で、災害が起きた際の行動をイメージしてみようというワークがありますが、
参加者自身がそれぞれの被災体験を持っているがゆえに、
「今のぞみ野地区で起きた時」という話と「当時の話やとった対応」がいっしょに話される場面もありました。
しかし、経験をしているからこそ気づくことや、気を付けなければいけない所なども、
地域の方たちであらためて話し合う場となっていたように思います。
【まだまだ地域の方同士で顔も名前も分からないがゆえに、災害時要援護者の名簿を作るまでに至らない。】
【いざというときに、だれが何をするという役割分担や、決め事がない】
などなど、新しいが故の課題もありますが、寄らば文殊の知恵ですよね。
これから様々な手を借りながら、住民自身で決めてつくっていく。
そのためには住んでいる人たちがこうして顔を合わせて話し合う機会をたくさん作っていけば
すこしずつ着実に前進していくのでは、と感じました。
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ピースボートさんとは付き合いはふるく、まだ当団体が仮設住宅自治連合推進会だったころにピースボートさんが市内の仮設住宅を対象に発行していた「仮設きずな新聞」にじちれんのメンバーが編集委員として加わり、出張じちれんだよりを掲載をさせていただいたことがありました。
2014年の6月には仮設きずな新聞の編集部のメンバーを中心に一緒に神戸の視察に同行させていただいたこともあります。
灘区にあるHAT神戸の自治会長さんや住民の方、真野地区の町内会の方たちなど様々な方からお話を聞かせていただきました。
当時は少し先の未来の話として、復興公営住宅入居後の苦労や課題などを学んで帰ってきましたが、
いままさに、そういった時期に自分たちがいます。
向き合うのはいつも目の前の方、目の前の地域ではありますが、
当時お話を聞かせていただいた先人たちのように、また次の人達の学びになるようなことが自分達にできていればいいなと思います。
1月17日。西の地へ想いをよせて。