5年前の3月11日、震災の少し前まで渡波の海岸近くで友人と話しをされていたそうですが、自宅に帰宅したところ地震に遭遇。近所にあった車にしがみつき、大きな揺れがおさまるのを待ちました。その後は自宅の片づけをしていたのですが、その途中でふっと窓越しを見たところ、濁流が流れてきたそうです。ご自宅のアパートの2階に駆け上がり、なすすべもなく茫然と津波を見ておられたとのこと。海岸から3~4キロ離れたところにご自宅があったため、まさかここまで津波がくるとは・・・想像もしていなかったとおっしゃいます。仮設団地に入る前までは、ご自宅で過ごされていたそうですが、仮設に入居した時は“ここは天国”と思ったそうです。
阿部さんは、被災を受ける前から渡波公民館で剣道を子どもたちに教えていました。ご自身の活動としては自治会活動より公民館活動に励んでいたようです。そんな阿部さんが大森第3仮設団地の自治会長さんになる経緯もその剣道の仲間がきっかけです。剣道部の後輩だった方がたまたま大森仮設に炊き出しに来ていて、「今日の夜集会所来ねすか?」と聞かれたそう。なんとその集まりが、自治会の設立委員会だったようです。何も知らないで顔を出したところ、その場で会長に推薦され、みなさんからも拍手をいただいてしまいます。ご自身では「自分は会長になる器じゃないから」と断ったそうですが、みなさんの後押しとボランティアで来られていた方の気持ちに押され、会長になることを決意されたと言います。
そんな経緯で会長になられた阿部さん、器はないと言いながら、やはりその力を発揮されてきました。仮設団地では夏祭りや秋祭り、クリスマス会にラジオ体操、カラオケ会、防犯パトロール、本当にいろいろな活動をされています。話を伺っていると、阿部さんは発想が柔軟で、その柔軟さからイベントや活動提案をたくさんしてこられました。そんな阿部会長さんの力と、仮設の役員さんや住民さんの力があり、これまでいろいろなイベントが実施されてきたのだと思います。阿部さんも、みなさんが協力してくださって本当に助かったとおっしゃっています。会場の準備などをしている時も「会長はいいから、座っててけらいん」とみなさんに言われてしまうほど。それでも“動くのは自分の健康のため”と思っている阿部さんは、みなさんと一緒になって準備等も行ってきたようです。
これまでの5年間の活動の中、自治会長も初めて、さらに大きな仮設団地であったこともあり行政委員や民生委員としての役割も初めての初めてづくし。いろいろなことを模索され悩まれながら活動してこられたと思いますが、そんな状況でも“自分の健康のため”と思ってこれまでの活動を楽しんでやられてきた姿がお話しの中から伺えました。ちなみに、これまで頑張ってこられた活動の原動力は自身の“負けず嫌いな性格”とのこと。一回自分で口にしたことは最後までやると決め、活動をされてきたそうです。その強い心があって、これまで活動されてきたのだと思います。団地住民のみなさんが元気になるためには、“まず自分が率先してやること”。その姿があったからこそ、協力してくださる方が多く出てこられたのだと実感いたしました。
「できることなら自分はここにずっと住んでいてもいいのだけど。」そんな言葉が阿部さんから出てきます。これまでの5年間、辛いことがありながらも、本当に楽しく、やりがいを持って団地のみなさんと生活されてきたのだと思います。
最近、仮設住宅に住んでおられる方々のお話しを聞くことがありますが、復興住宅への転居が進んでいくにつれ、仮設住宅での生活を惜しみ、「離れたくない・・寂しい・・」と感じていらっしゃる方が多いと感じています。この5年間を、みなさんが団地の方と支えあいながら生活されてきたのかということを感じる場面が多々あります。阿部さんもきっとそのような思いなのだろうと思います。
これから復興住宅への転居が控えているとのことですので、ぜひまた新しい地域でも力を発揮していただきたいと思います。また、大森仮設住宅のみなさんとのつながりも、継続していくことができたら良いですね。