阿部会長さんは、5年前の3月11日、義理の弟さんに用事があり、湊地区にあるお宅へ家族で出かけていました。その日は他にも街中で2つほど済ませたい用事があったようなのですが、なんとなく落ち着かない感じがしたため、とにかく家に帰ろうということで家に戻ることにしたそうです。その帰宅途中に、石巻赤十字病院付近で被災をされました。その時は、すぐに家に戻ろうということで須江にあったご自宅に車で戻られました。ご自宅は、津波の被害はないものの、家が傾いてしまったようです。
それからの生活は、余震が続いていたこともあり、傾いてしまったお家では落ち着いて生活ができません。家の中では、かろうじて何かがあった時にすぐ飛び出せる茶の間で仮眠をとる。ゆっくり眠りたい時や夜は基本的にご家族3人でワンボックスカーの中で寝る。このような生活をされていたようです。
また、阿部さんのご自宅があった須江地区は津波の被害はない地区だったこともあり、自分たちも被災に遭いながらも、須江地区に避難された方々に炊き出しなどの支援をしていたそうです。できるだけ、温かいご飯を提供したいという思いから色々な工夫をされて、支援を行ったようです。この当時のことを阿部さんは「地元のお母さんたちは、大変だったと思いますよ。」と話されます。ライフラインがない中で炊き出しの準備をする。自分たちの生活も精一杯の中で、このような活動をされてきた方がいることは、中々知られていないのかもしれません。
そんな中、ご自宅があった須江地区に仮設住宅が建つということがわかり、阿部さんはそこに申し込みをされます。そして9月に糠塚前団地に入居されました。入居された何人かのメンバーで「何かしなきゃねぇっちゃね」という話から、自治会活動を開始され、最初は副会長として、その後会長として活動をされてこられました。
阿部会長さんは、糠塚前団地での活動を振り返り「自分が仮設住宅で生活していく時に、あったらいいなぁと思うことを考え、それに賛同してくれたみなさんと一緒にやってきた。そうやってこの団地は進んできたと思っている。」とおっしゃいます。そのことが一つの形となったのが、ごみ集積所だったそうです。ごみの収集の日は出す曜日が決まっていて、その日にしかごみを出してはいけないのが普通です。しかし阿部会長は、「狭い室内で自分たちが生活するのにもいっぱいいっぱいの仮設住宅の中で、ごみが何日も溜まっていってしまっては生活がしづらい。」と思い、なんとかなる方法がないかと考えたところ、扉付きのごみ集積所を作ってしまおうと思ったとのこと。そのことを団地の住民さんに相談し、一緒自分たちの手で作ってしまったようです。このような方法で住民さんとコミュニケーションをとってこられたんですね。コミュニティづくりということや交流を深めることが目的ではなく、生活する中で必要なこと、それはみんなが必要だと思うことなのではないかという発想で活動をし、それが地域のみなさんとの交流につながっていったのだと思います。この方法で、仮設のネット張りや、蛇の注意喚起、街灯など、生活に根差した様々な工夫や住民のみなさんの生活をよりよくするための活動をされてこられました。
またそういった活動だけでなく、ボランティアの方々の協力を得て、住民のみなさんが集まる機会を設けるなど、団地内の交流の場を増やしていくための活動もされてきました。その中で印象的エピソードが、会長さんからボランティアの方へ「(ごはんなどを)提供するだけの会ではなく、一緒にやらせてほしい」とお願いをしたというお話しです。自分たちがボランティアの方に“やってもらって当然”となってしまうことを危惧されたとのこと。最初は被災者ということもあり、ボランティアということでやってもらっていたけども、2年も経てば被災者じゃないという感覚もあったと言います。その後は、ボランティアの方とも話し合い、提供されるのではなく、一緒に子どもたちとケーキを作ったり、ごはんを作ったり、自分たちも活動に参加するように進めてこられたそうです。
阿部会長さんのお話しからは、生活に根差した地域活動をされてきたということがうかがえました。自分たちに何が必要なのか。自分たちの生活を良くしていくために地域の活動をする。こういった地域が増えると、誰もが住みやすい地域に近づいていくのだろうと改めて実感いたしました。阿部会長さんはこれから自分の地元の近くに戻り生活をされるそうです。これからも地域のみなさんと自分たちの生活に根差した活動を続けていけると良いですね。